マイクは、オーストラリア人だった。
日本のニセコにはスノーリゾート業などを営むオーストラリア人がたくさんいると聞くが、ここカンボジアでも同じようだった。オーストラリア人はリゾート業が得意な人種なのだろうか。
メインは不動産を転がしてお金を稼いでいるとマイクは言った。Tシャツに短パン、草履姿で瓶ビールを飲む姿はとても不動産をやっているようには見えなかったが、カンボジアの物価では他の国ほどお金もかからないのだろう。
ただ、カンボジアののんびりさには勝てなかったのか、マイクは今回の船上年越しパーティーはかなりあきらめモードだった。設備の古い船だった上に電力不足、追い打ちに目玉の花火が中止になってしまってはお客も盛り上がりたくても盛り上がれない。みんなそれぞれの連れと不安げにテーブルにつきフィンガーフードをつまんでいるだけだった。
投げやりな態度のマイクと世間話を話していると、もう一人マイクと名乗るおじさんがやってきた。仮にマイク2としよう。
彼はマイク1の友人で、これまたオーストラリア人だった。2人とも似たような境遇でカンボジアまでやってきて、ここで出会ったのだそうだ。顔は違うが似たような格好をして同じようなしゃべり方だった。(同じオーストラリアなまり英語なので当たり前と言えば当たり前だが。)
会話の途中によく、「オーイ」と言っていたのがおもしろくてとても耳に残ってる。オーストラリアの方言なのか、内輪での口癖なのかよくわからないが、多分「まー」とか「いやぁー」とかいった類いのかけ声的なものだと思われる。従業員のカンボジアの若者もオーイとおじさん達が言うたびにクスクス笑っていた。
そんな話が盛り上がる訳でもなく、むしろ必死で話題を探してなんとかつなぐといった感じだったが、マイク1&2が話しているのを聞いていたり、上のデッキにあがってみたりしているうちにカウントダウンを迎えた。これまた大騒ぎする訳でもなく、近年まれに見るほどの感動のない年越し風景だった。
カウントダウンも終わり、上のデッキで真っ暗な川を眺めていると、何やら乗っきた小さな船が動いていた。マイク2がやってきて、終了を待たずに帰りたいと言い出した客がいて、船を出したと教えてくれた。
できれば私も乗って帰りたかったのだが、オーナーと話をしてしまった以上、帰りたいとは言い出しずらかった。
しかたがないか、とあきらめ船を見送り下におりた。
するとどうだろう、一部の客が帰ったとばかり思っていたら、下のデッキには従業員しか残っていなかった。誰かが帰りたいと言い出したら、私も私もと次々にみんな船に乗り込み、結局全員帰ってしまったのだとマイク1が教えてくれた。
なぜそこで私に声をかけてくれないんだと言いたかったが小心者の日本人の私には言える訳もなく。言えたとしても、先ほど出たばかりの船がお客を降ろして戻ってくるまでWマイクと従業員達と一緒にこの船上で待たなければならない事に代わりはなかった。
カンボジアとは言え冬の時期。船上を通過する風は涼しいから冷たいにかわりつつあった。
確か、ここまで来るのに20〜30分かかった。ということは、次に迎えが来るのは少なくとも40分後だ。
話題もつきたしビールを飲む気にもあまりなれない。
2008年1月1日。
カンボジアで迎えた新年は、あまりにも新年らしからぬものとなった。
良い悪いはさておき、今までにない年越しだったということは、確かである。
ツクツクに乗っている時に撮ったので傾いているが、とある遺跡。
カンボジアの遺跡はラピュタのモデルになったと聞いた事があるが、
手つかずになり荒れ放題の遺跡は確かに竜の巣の中の空中庭園を思い出させた。
女一人旅を楽しんでいる人、たくさんいます。