以前夏に登った時、水が足りなくなってかなり焦った思い出があるので、今回は少し多めに。あと、久しぶりにステッキも持って行くことにした。膝が弱い私は、やっぱりあると下りでかなり楽になるのだ。
登山届けを出したらさっそく出発。
やっぱり歩くのが遅い私は結構抜かされながらだったが、程よく汗をかきながら1時間ほど歩いた。
檜洞丸は、ブナの木が多くある。私は、ブナの木が好きだ。かっこいいから。どこが?とか聞かれても答えに困るのだが、とにかく私にはかっこ良く見えるのだ。
(ちなみに、富士山の宝永山もかっこいい。頂上から御殿場口の方に降りてくる時に見える宝永山は、まじでかっこいいと思う。これは、友人も言っているのできっと実際に見たら多くの人がそう感じると思う。)
どの山にも主のような木が必ずある。
以前も登った事がある山だと、何となく見覚えのある木とか、去年も写真撮ったよなー、とか言う木が必ず存在する。
木と言うのは、いつ行っても必ず「そこ」にいるのだ。
よくよく考えると、動植物で、人間より寿命が長く、一定の場所に居続ける木という存在はすごいと思う。
もちろん、都会や住宅街にある木は切り倒されたりしてしまうことが多いし、山中にある木でも、大きくなる前に枯れたり、大きくなってからでもなんらかの理由で倒れたり枯れたりする木はたくさんあると思う。
それでも、主的存在にまで大きくりっぱに育った木は、記憶に残り、次回訪れた時もそこにいてくれる。
まるで田舎にいるおじいちゃんのように、また来たよー、元気だったー?なんて声をかけたくなるのだ。(実際に心の中ではそんなことをつい言ってしまう)
木に癒される、というのはこういう事からなのかな、とふと思った。
とにかく、りっぱなブナの木に出会うと立ち止まって見上げたりしてのんびりと進んでいった。
これは、私の記憶に残っていた「ねじれ木」。
地面が崩れてしまって斜めに立っているのだが、きっと倒れないようバランスをとるためにこうやって反対方向にねじりながら成長していったのだと思われる。
自分の置かれた状況に、文句一つ言わず黙々と、ただ「生きる」を続けるその姿には感服する以外にない。
コースタイムは3時間45分となっていたので、2時間ぐらい歩いた所で長めの休憩をしようと思っていた。(結局このコースタイムは少し長めの設定だった事があとで発覚)
ちょうどそれが、展望園地のところだった。
大きなテーブルベンチがあるので座ったが、すでにほぼ満席だったところに後からどんどん他の登山客もやってきて、落ち着かない。
こういう時は、やっぱりだれかと一緒のほうがゆっくりできる。
(ただ単に私が小心者というだけかもしれないが)
結局、少しお菓子を食べただけで5分も休まずに再び歩き出した。
これがいけなかったようで、普段後半から調子が上がってくるタイプなのだが、逆にこの日はだんだんとつらくなってきた。おなかも空いて、グーグー言っている。
帰りの道を犬越路の少し遠回りの道から帰ろうかと思っていたので、早く頂上につきたい。
お昼はやっぱり頂上で食べたい。
そんな思いもあったので、ついつい休憩を取るタイミングを逃す。
前回来た時は、けっこう余裕で歩いた覚えのある道だが今回はつらい。
結局、3時間で頂上についた。
後で昨年の写真を見返したら、3時間20分ぐらいかかっていた。つまり、休憩をしなかった分だけ早く着いているので実際歩いていた時間は変わらない。でも休憩をしなかっただけであれだけ辛さ具合が変わってくるのかと、少し驚いた。
休憩と栄養補給がいかに大切かがわかった気がする。
頂上は、やっぱり多くの人でにぎわっていたが、けっこう広い場所なのでそれほど探さずにお昼を食べる場所を確保する。
休憩をほとんど取らずに来たため、ここではごはんを食べ、コーヒーを入れてゆっくりした。周りを見れば、シートを広げて横になって休んでいる人もいる。それもありかな、と思いながらも日焼けが気になり座って休む事しかしなかったが。
ちなみに、山頂には山小屋があり、宿泊が可能だ。(週末営業)トイレもある。
トイレに行くと、行きで見かけた親子がいた。小学生ぐらいの息子とお父さんだが、この息子がへこたれずにお父さんについて行くのをみて、思わず「お兄ちゃん、えらいねー、がんばるねー」なんて声をかけたから、向こうもこちらに気づいて会釈してくれた。
おきまりの、カップヌードル。
カレーヌードルのミニがあればいいのに、と思いながらいつもノーマルタイプを買う。
頂上まで登ってくる間に、同じぐらいの速度の人たちと顔なじみになる。
特に一人で登っている場合は、あえてそういう人に声をかけておく。自分が遭難した時のことを考えて、なるべくみんなの印象に残っておいた方がよいと思って。
逆に自分も、他の人をなるべく覚えておくようにする。
何かあった場合に、自分の持っている情報が役立つかもしれないから。
例えば、今回は登山口に戻った時におじさんが一人そこでうろうろしていたので、「連れの人を待ってるんですか?」と声をかけてみた。「麦わら帽子をかぶった女性なんですけど・・・」と言う。
麦わら帽子をかぶっている人はあまりいない。だから、その人の事は覚えていた。けっこう前に抜かしたおばさんに違いない。「どこどこの辺りで抜かしましたよ、まだもう少しかかるかも知れません。」なんて事を教えてあげると、おじさんは少しほっとした感じだった。
こんな感じで、山では他の人とのちょっとしたコミュニケーションが重要だったりする。
普段は知らない人にはなかなか声をかけにくいが、山ではしやすいので逆に会話を楽しむというのもありだ。
この、今この時だけの会話、関係、というのが心地よかったりする。
これは、登山と旅の醍醐味かなぁなんて思った。
帰りは結局疲れてしまったので、犬越路からの道はやめ、来た道を戻った。
2時間ちょいぐらいで登山口まで戻ることができた。
登山後のブーツを脱ぐ瞬間は本当に気持ちがよい!
このリハビリ登山を数回した結果わかった事。
今まで登山後に出ていた痛みが、登山中に出ることが多々あった。
生き物とは老いるもの。何もせずに今まで通りはいかないようなので、山小屋泊登山とかする前には何かしらの対応策を考えておいた方がよいようだ・・・。
でも、これでリハビリは終了にする。
梅雨に入るので、また長期休暇になる可能性が高いが、夏にはまた北アルプスとかに出かけたいな、と思う。
新たな試みで、Flickr の檜洞丸のセットの写真すべてに一言つけてみました。
檜洞丸がどんなところか知りたい方はよかったらどうぞ。
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