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シェムリアプで迎えた不思議な新年 1
宿の同じ部屋には、オーストラリアからきたタラという女の子と、韓国人の女の子2人組がいた。

韓国人の方はほぼすれ違いだったので少ししか話さなかったが、キリスト教で布教活動かボランティアかをしにきていたようだった。韓国ではキリスト教徒が一番人口が多いらしい。仏教徒よりも多いとは意外だが、歴史上の理由があるのだろうか。

まだ学生の彼女達の荷物に、アコースティックギターがあったのがとても印象的だった。


声の大きなオーストラリア人のタラの方も、学生でボランティアをしにきたとのことだった。
どこかの学校で数ヶ月間英語を教えるそうで、大きなトランクに目一杯洋服やアクセサリーをどっさり詰め込んできていた。若者だけにオシャレも大切なのだろうが、さすがにそれは多すぎじゃないかと思うほどだった。


アンコールワットの初日の観光を終えて宿に戻ると、そのタラが船上カウントダウンパーティーに行かないかと誘ってくれた。宿に置いてあったアクティビティーのチラシに載っていたもので、メコン川に浮かぶ船で食事をしながら、花火と新年のカウントダウンを楽しもうというものだ。仲良くなった別部屋の宿泊客と一緒に行く予定だから、私もよかったら来ないかと言ってくれた。


実は、あまりパーティーというものが得意ではないので、「少し考えて行く時は自分で申し込みをするよ」、と答えた。


結局は積極的にならねばと申し込みをしたのだが、これが不思議な新年を迎えることになる原因だった。



オールドマーケットをぶらつき、宿に戻ってから受付で申し込みをした。花火が中止だと言っていたが、あまり深く考えずにお金を払った。
部屋に戻るとタラは居ず、戻ってきたのは数時間後だった。

タラに申し込みをしてきた事を告げると、なんと彼女達は申し込みをしていないと言う。
ダウンタウンのバーでみんなで飲む事になったそうなのだが、問題はそれを聞いた時には船上パーティーの方の申し込み受付時間がすぎており、キャンセルもできない状態だったことだ。


花火が中止になったパーティーに一人参加。
ちょっと待ってくれと思ったが、もうどうする事もできなかった。


相変わらずの大きな声でSorryと繰り返すタラに、No problem と答えてみたものの、楽しめる予感はあまりしなかった。



集合時間になり、1階に降りる。
宿の前に古いバンが停まり、それに乗るように促される。


思い切って乗り込むと、狭い車内には白人の中年夫婦やアジア系の親子、あとはローカルっぽい東南アジア系の家族など、あまり盛り上がりしなさそうなメンツが乗っていた。





2007年の大晦日の夜は、いつもとは全く違った物になりそうだった。







2007_1231CF
アンコールワットからアンコールトムに向かう途中、
大きな石像が両サイドにいくつも建てられた橋を渡る。





2007_1231CH
その下を流れる浅い川では、のどかに何やら作業をしている人たちと
のんびり草を食む牛たちがいた。






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カテゴリ:ベトナムとカンボジア | 22:20 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
アンコールの遺跡群 2
巨大な顔が見守るバイヨン寺院を後にし、その近辺にある他の遺跡を見て回った。 


2007_1231CU


遺跡ごとに入り口でチケットをチェックするのだが、その入り口の周りにはだいたい土産物屋や食堂があった。 



自分はバッグに食料を少し入れていたので見学途中にちょこちょこ食べていたのだが、そういえばバイタクのドライバーにお昼って支給する物なんだろうか?なんとなくどうしていいかわからずに2時を過ぎてしまっていた。結局一緒に食堂に入ったのだがドライバーはすでに昼食を済ませていたため、飲み物だけ注文した。

このドライバーはことあるごとにチップの話をしていたので、どうも快くおごってあげられないという理由もあったのだが。




食堂で一服した後も、アンコール観光は続いた。
癩王(らいおう)のテラスや、像のテラスなどを見て回った。

2007_1231DK




アンコールワットでは美しい建物や風景以外に、もう一つ目に入ってくるものがある。生きる環境の違いだ。

遺跡内には本来チケットを持たない人は入れないのだが、広い上に囲いもきちんとしてある訳ではないので、子供達や物乞いの人が多々入り込んでいる。

観光客の子供と、土産物を売り歩くカンボジアの子供との対照的な姿をまざまざと見せられたり、お金を稼ぐため、生きるために外国語を学ぶ子供達の姿もあった。ある狭い通路では、道行く人に物乞いをする両足を失った男性と、その彼に1ドルを渡す代わりに写真を撮らせてくれとファインダーを覗く欧米人男性の姿があった。


この場所には多くの人が集まっていて、その人たちが生きている環境の差はかなり大きい。 誰が悪い訳でも、誰が良い訳でもない。ただ、単純に生まれた場所が違うというだけだ。

人間は生まれた時から平等ではない。その事実が目に見える形でそこに存在していた。 





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カンボジアの人たちシリーズ。
左上より時計回りに
遺跡の修復作業をする人たち
バイタクドライバーのスリーデー
土産物屋の子供
ヤシの実を運ぶバイクリヤカー 


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カテゴリ:ベトナムとカンボジア | 00:16 | comments(4) | trackbacks(0) | - |
アンコールの遺跡群 1
チケット売り場で3日券を買った。その場で顔写真を撮り、パウチされたチケットを渡された。値段は40ドル、高いのか安いのかわからないが、現地の人が気軽に買える値段ではなさそうだ。


長い、まっすぐな道をバイタクは走る。
木々が生い茂り猿が我が物顔で歩き回っている道を抜けると、お堀のような所にでた。

あれがアンコール・ワットだよ、ドライバーがお堀の向こう側に見える遺跡を指差した。想像以上に大きく、広い遺跡だった。土産物屋が立ち並ぶ駐車場スペースに出るとバイクが停まった。


さすがに世界的に有名な場所だけあって、あたりは観光客でいっぱいだった。
ドライバーは、自分はここで待っているから中に入って見てこいと言う。1時間じゃすまなさそうな広さだ。私が中にいる間他の客を探したりしたいだろうと思って、「普通見るのにどれくらいかかる?」と聞いても「あなたの気の済むまで見てこい」との返答。1日雇われたら他の仕事はする気がないのかもしれない。きっと待つ事も彼らの仕事なのだろう。



じゃあ2〜3時間で帰ってくるから、と告げ歩き出す。ふと、見終わって出てきた時に、この人ごみの中で彼を見つける事ができるのだろうかという一抹の不安がよぎる。顔をもう一度見ておこうと振り返ってみたが、そこには彼の姿は既になかった。




遺跡の入り口まで、お堀の上にかけられた道をまっすぐ歩く。けっこう長い。大きな石を切り出して作られたその石畳は、何百年も前に作られ、そして人々がそこを歩いたのであろうという事を物語っていた。


2007_1231AK




相変わらず人は多く、その姿も様々だった。
私のようなバックパッカー、日本人や韓国人のツアー団体客、そして中にはお坊さんを先頭に歩く裸足の集団も。タイなどからお寺参り(?)にやって来たようで、要所要所でお坊さんが何やら説明をしていた。



2007_1231AM



そういう人たちにまぎれて歩いていると、片言の日本語で声をかけられた。
赤い袈裟を着た、若いお坊さんだった。


日本語を勉強しているという彼は、こうやって日本人を見かけると話しかけて会話の練習をしていると言った。さすがにお坊さんは勤勉だなぁと感心しながら、しばらく彼と一緒に歩いて見て回った。



2007_1231AN

話すうちに、この彼は先ほどの裸足の集団をお世話しているという事がわかった。タイからやってきたこのお坊さんと、何かしら宗教的なつながりがあるようだったが、詳しい事はよくわからなかった。きっとこのメコン川周辺の国の歴史とかを知っていれば、もっと彼の話が理解できたのだろう。



途中、彼らの集団が座り込みお坊さんの説法が始まったようだったので、ここで別れた。最初は入り口が一つで込み合っていたが、だんだんと人が分散し遺跡をじっくり見ることができるようになってきた。



遺跡は、石を切り出し、細かい細工をしたものが使われているのだが、あまりの細かさとその大きさには、ため息しか出なかった。

手先の器用さでは日本人が一番だろう、なんて勝手に思っていたが、このアンコールワットの遺跡を見ると、ここに住む人たちは手先の器用さだけではなく、それをかなり広い範囲に渡って施すことを可能にした技術や統制があったのだと思わざるを得ない。

芸術の何を知る訳ではないが、デザインや色彩以外にも、作品の大きさというのも人を圧倒するためのテクニックだと思う。まさに、このアンコール・ワットはそれだった。その細かく美しい彫刻もスバラシイのだが、それをここまで広範囲で見せられると、うわっ、と圧倒され、息をのんでしまう。




2007_1231CA



写真のような彫刻が建物の壁一面に施され、また、きれいに削りだされた同じ形の石柱が何百本も並んでいた。中には風化してはっきりとその彫刻が残っていない部分も多々あったが、もともとは細かい細工がされていたことは明らかだった。


宗教や歴史についてまったくの勉強不足の私だったが、それらを知らずともこの巨大な芸術作品は十分に楽しめるものであった。


2007_1231AS



途中座り込んで休みがてら眺めたりして、ようやく中を一周して外に出てきた時には3時間は経っていた。バイタクのドライバーは私がこの時間に来る事を知っていたかのように、入り口で待っていた。


アンコールの遺跡はこれだけではない。
アンコール・ワット、アンコール・トム、バンテアイ・スレイなど、有名どころ以外にも小さめの寺院などがあちこちに散らばっている。

すぐにバイタクにまたがり、アンコール・トムへと行く。
アンコール・ワットは一つの大きな寺院だったが、アンコール・トムは敷地の中に寺院や王宮が建ち並ぶ。(アンコール・トムとは「大きな町」という意味で、実際には城壁のことをさすらしい)


このアンコール・トムの中にはバイヨンという有名な寺院がある。
塔の屋根の部分に大きな顔の彫刻が施されている写真を、見た事のある人も多いだろう。



2007_1231CQ


やはり大きいというのはそれだけですごい。
遠目で全体像を見た時も感動したが、中に入り間近でその顔に対面した時は思わず腕を組み口を開けたまましばらくの間ぽかんと眺めてしまった。



アンコールは、まさに巨大なオープンエアの美術館だった。





まだまだアンコールの感動体験が続く予定です。
独りよがりとわかっていても、書かずにはいられないスバラシサ。

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カテゴリ:ベトナムとカンボジア | 20:51 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
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